ShadowBane日記 2004年04月04日
「最終回:最後の冒険」


両手が、次いで両足が生命の木の呪縛から解放された。 そして私は生命の木の前へと放り出された。
HAS-Corpのシンボルである生命の木が最期の時を迎えたのだ。 青々とした葉は一瞬にしてドス黒い色へと変化し、辺りに散り落ちた。


「またやってしまったか…」

UOの時もそうだった。 ギルドを持っていながら、ろくに勧誘活動もしなければ、ギルドとしての活動もないに等しかった。
自分は自分なりの楽しみ方を見つけるのが得意だと思う。 ゆえに、自分の楽しみ方を優先してしまう傾向がある。 これは悪いことではない。自分なりの楽しみ方でゲームに向き合うのはプレイヤーにとって最高のプレイスタイルだ。
だが、ギルドを作り、それに参加してくれる人がいるならば、少しは考えなければならない。いや、ギルドの活動を「楽しみ」にできなければ作るべきではないのだろう(むしろ逆で、ギルドはギルドの活動を楽しむために作るのだろう)。
HAS-Corpは、ギルドのためのギルドであった。それは母体となる、はしやんソフトが会社のための会社であることに起因する。それがいかに無意味で不毛なことであるかはわかっているつもりだ。
もし「次」があるなら考えなければならない。今回、HAS-Corpに参加してくれた方々には本当に感謝とお詫びの気持ちでいっぱいだ。

「次」。実のところ、まだ次は決まっていない。
私は、全てがプレイヤーに委ねられた究極のPvPゲームであるShadowbaneの世界を「最後」に位置づけていた。後にも先にもPvPでこれ以上のものは出てこないであろう(ゲームとしての面白さは別の話。でもShadowbaneはゲームとしても面白かった)。
街や狩場で人に出会った時、プレイヤーは実にいろいろな行動を取ることができる。話しかける、無視する、警戒する、そして攻撃する。仲間を作り、友達を作る人がいる、そうかと思えば、殺戮を楽しみ、金品を奪う人もいる。
何をしても自由な世界。それは現実でも同じだ。 だが仮想世界で相手を傷つけても現実世界のようなリスクはない。 しかし、それでもこの世界は殺戮だらけの絶望的な世界にはならなかった。
そこには、本当の仲間がいた。本当の平和があった。 システムが作り上げた「まやかし」の平和などではない、一人一人のプレイヤーが選んだ本当の平和だ(例えそれがささやかなものであっても)。

私はプレイ中から度々口にしていた。「これほど刺激的なゲームがあるだろうか」と。
もし、あるのなら、この先出てくるのなら、是非プレイしたい。
もし、ないのなら、自分の満足できる形を自分の手で具現化する意外ないであろう。



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